晴れたらいいね~子供の発達障害をプラスに変えるために取り組むママの育児ブログ

ADHD強めの長男と社会性高めのASDグレーンゾーン次男の成長記録。生き辛さを持つ2人の未来が明るいものになるようにしている工夫、知能をあげるために遊ばせたおもちゃや本、母親の悩みや葛藤をありのままに綴ります!

自閉症と診断されるまで~長男1歳7ヶ月から2歳~。

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一歳半検診で発達の遅れは明らかとなり、でもまだ一歳半だからと思う気持ちはあり。

でも、この頃には、今まで頻繁に行っていた子育て支援の活動にいかなくなっていました。
活動のなかで、だんだんと座らないといけないことがでてきて。例えば絵本をみる時間など。
座れない子は後ろでだっこしてくださいと言われるんだけど、みんなと座るなんてとんでもない、でも後ろで抱っこもいやがる、じっとしていられない、絵本をさわりにいってしまう。
座れないなら後ろにいてくださいと言われることがストレスになり、行くのをやめました。

そんななか、1歳7ヶ月になり、小児科の発達相談にいくと、
先生より
「一歳半くらいで、人間の本能として、お母さんを求める、人の真似をするということができてくる。長男くんにはそれがない。人とのコミュニケーションも取れない。少しマイペース過ぎますよね。
大人で言う、自由人なんです。ただ大人の自由人とは違う。子供でこれだけ自由だとこれから困ることが出てくる。
このままだと、悪いことの区別がつかなかったり、学校の授業で嫌いな科目になると逃げ出したりとそういうことが出てくる。早く集団にいれた方がいい。」と言われました。

でも、幼稚園もまだ入れないし、保育園は働いていないしというと、

「療育園というものがあって発達が気になる子どもを見てくれるところがある。ここだと働いてなくても通える。診断書が必要と言われれば書きますので、空きがあるか連絡してみたらどうか?」
とのこと。

今思えば、この時にもっと深く考えて自分で調べていればと思うんだけど、その時はまだ一歳半なのにという気持ちが強かった。

療育園のパンフレットをいくつかもらったので、1件だけ電話をかけてみたのですが、今空きはないとの回答でした。
お母さんからみてどう思いますか?と聞かれたのですが、私から見たら普通の子供ですと答え、まずは見学予約をしないといけないとのことだったので、とりあえずまた考えて連絡しますと伝え電話を切りました。

何かあと一歩踏み出せなかった。
実は、ちょうどこのとき、第二子を考えていました。私は病気のために色々と計画立てて妊娠を乗り越えないといけませんでした。
長男に兄弟をつくったら何かが変わるかもしれない!つくってあげたい!
そんな気持ちでした。
またこの病気のことは書きますが、色んな覚悟を決め、妊娠に向けて頑張っていくことにしました。

そして、すぐに妊娠。週に2回の大学病院通院での血液製剤の点滴とヘパリン皮下注がスタート。それに伴い、長男を一時保育に預けることになりました。


保育園の一時保育を利用したかったのですが、なかなか空きがなく、入れても月に3日ほどだったので託児所も利用することに。
しかし、保育園では部屋から脱走するわ、座れないからベルト固定されるわ、ご飯は食べないわと午前中しか預かってもらえず。本人も行きたくないと泣きわめく。
このとき、ついに後追いが始まったんだ!なんて喜んでたのですがね…
結局、託児所は一日預かってくれるし、本人も初めは泣いたりもしたけど、強制されることもないので一人で遊んで過べていたのでこちらを利用しました。


そんな感じで、特に変化なくこの生活が続きました。私はだんだん大きくなるお腹に、辛い治療でいっぱいいっぱいになっていました。

1歳9ヶ月の頃、市の遊びの教室という発達の気になる子供が参加できる教室にいきはじめました。でも2週に一度。だけど、この教室は元気に体を動かす教室で、座れないことを指摘されたりもしないので、私も長男もストレスなく通えました。

長男の様子は、集団にいれたとはいえ毎日いくわけでもないし、託児所で一人で遊んでるだけ。
言葉も増えない、ただただ動きがパワフルになっていっている。そんな感じでした。


そうして、もうすぐ2歳だからと、誕生日は何をしようかなぁと思っていた頃…
血栓ができないように頑張って治療していたのにも関わらず、人生三度目の血栓ができてしまい入院することとなったのでした。

長男2歳になる3日前でした。